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Live Coverage of 2005 Grand Prix Osaka

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10:22 am - 「大阪」というキーワードで2004年を振り返る。
12:57 pm -マジック・アーティスト:Nottsuo
2:28 pm - Behind the Scenes

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  • Saturday, Jan. 8 : 10:22 am - 「大阪」というキーワードで2004年を振り返る。
    by Keita Mori
  • 2005年のマジックのカレンダーがこのグランプリ大阪からスタートする。現場では、日本各地からやってきたチームたちが、今まさに三人分のシールドデッキの製作に取り掛かっている真っ最中だ。さて、戦いの行方をリポートさせていただく前のちょっとした時間を利用して、2004年という一年を「大阪」というキーワードで振り返ってみよう。日本のマジックコミュニティにおいて、大阪という地域が実に大きな拠点であることを確認していただけると思うからだ。

    2004年1月

    PTアムステルダム準優勝、藤田 修

    昨年、2004年という年のマジック・カレンダーは1月の16日から18日にかけて開催された プロツアー・アムステルダム からスタートした。これはミラディンを使用したロチェスタードラフトがフォーマットで、大阪の藤田 修が見事に決勝ラウンドへと勝ちあがった。調和を旨としたロチェスターで成功をおさめてきた藤田は 決勝ドラフト でも協調ドラフトを徹底し、青黒で「親和(Affinity)」システムを組みこんだアーキタイプを完成させた。《水晶の破片/Crystal Shard》や《肉体の裏切り/Betrayal of Flesh》といったパワーカードを搭載した藤田は、準々決勝でカミール・コーネリセン(オランダ)を、準決勝ではアントン・ヤンスン(スウェーデン)を、と世界でも有数の強豪を討ち取り、決勝へと駒を進める。

    しかし、決勝で藤田を待っていたのは《腐食ナメクジ/Molder Slug》入りの赤緑デッキのニコライ・ハースォグ(ノルウェー)だった。そして、無念にも《氷の干渉器/Icy Manipulator》を都合よく3戦連続して展開し続けることが出来たハースォグの豪腕、強運ぶりを前に、藤田のメダルは銀色となってしまった。《腐食ナメクジ/Molder Slug》こそ《恐怖/Terror》で除去したものの、《干渉器》の攻防一体のパフォーマンスにしてやられてしまったのだ。

    それでも、堂々の準優勝。イベントを通じて藤田 修の見せた力強さは印象的で、「懐の深さ」という彼の最大の長所に「爆発力」というスパイスが加わったことを見せつけられたアムステルダムだった。

    2004年2月

    待望のプロツアーチャンピオン、黒田 正城

    ミラディンブロック構築の プロツアー・神戸 が2月末、27日から29日にかけて開催された。そして、「親和ありき」、「《頭蓋骨絞め/Skullclamp》ありき」のメタゲームの中、決勝戦まで勝ちあがったのは二つのアンチ・親和デッキということになった。緑単色の「12ポスト」デッキのゲイブリエル・ナシフ(フランス)と赤単色の「ゴウ・アナン」の黒田 正城(大阪)だった。ともに《頭蓋骨絞め/Skullclamp》を使わないデッキである。

    「12ポスト」の「強固なマナベースからの《歯と爪/Tooth and Nail》」というのは、もちろん今日の「トロン」の原型といってもよいストラテジーで、《雲上の座/Cloudpost》を各種ウルザランドにしたり、ものによっては《花盛りの春/Vernal Bloom》といったカードを利用したりするヴァージョンが今日に至る。対する黒田のデッキは藤田 剛史(大阪)のデザインした赤単色コントロール、いわゆる「ビッグレッド」の先駆けだった。

    黒田 正城は大きな大きな舞台で、特筆すべき勝負強さを見せつけた。決勝の緒戦で、彼は《溶鉱炉の脈動/Pulse of the Forge》3発からの《とげの稲妻/Barbed Lightning》、《火の玉/Fireball》と5枚の呪文だけでナシフを焼き殺してしまったのだ。そして、黒田は迷わずにナシフのマナベースを攻撃するサイドボーディングを行った。《溶鉄の雨/Molten Rain》と《残響する破滅/Echoing Ruin》を投入すべし、というアドバイスを仲間たちの徹夜でのテストプレイの結果として受け取っていたからだ。

    もっとも、「構築戦世界最強」のナシフもさるもの。2本目では《歯と爪/Tooth and Nail》から《白金の天使/Platinum Angel》と《ダークスティールの巨像/Darksteel Colossus》を展開されてしまい、この一本は黒田の敗北となった。

    しかし、それでも3本目と4本目では黒田のサイドボードカードが突き刺さり、ナシフサイドのキーポイントであった「驚異的展開力」を支える土台、強固であるはずのマナベースはズタズタにされてしまった。それだけでなく、黒田が有効なカードを引き続ける傍らで、ナシフな何かに憑かれたかのような空回り。こうしてナシフを完全に「死に体」に追い込み、黒田は全力で《火の玉/Fireball》を撃ちこんだ。念願のタイトル、プロツアーチャンピオンの座を掴み取ったのは……大阪のコミュニティが育んだプレイヤーだった。

    表彰式も素晴らしかった。新妻の千佳子夫人を黒田が抱き寄せ、周囲からは冷やかし交じりの、しかしながら、とても暖かい歓声があがる。そして、セレモニーのビデオ収録が終わったときに、照れ笑いを浮かべながら黒田はさりげなくが黒いTシャツをめくりあげた。そのアンダーシャツにプリントされていたのはシンプルな漢字二文字のロゴ。私は感極まってしまった。黒田 正城はその大きな勝利を……今は亡き柴田 宗男氏に捧げたのだ。

    2004年3月

    ミラディンブロックのブースタードラフトをフォーマットとした グランプリ・仙台 が開催された。そして、赤白の見事なビートダウンデッキを決勝でドラフトした志村 一郎(茨城)が初戴冠を飾った。志村はチームS.A.I.としてプロツアー・シアトルのベスト4に輝くことになる新しいスタープレイヤーで、このグランプリが筑波大生である彼の輝かしいデビューとなった。そして、このときに決勝で志村と対戦した相手が、大阪の森田 雅彦だった。このイベントでの準優勝によって……森田は5つ目のグランプリの銀メダルを持ち帰ることとなったのだった。

    2004年6月

    大阪で開催された 2004 年度日本選手権を 制した藤田 剛史(大阪)

    《頭蓋骨絞め/Skullclamp》がスタンダード・フォーマットでの 禁止カードに制定された わけだが、これは6月1日に告知、6月20日に発効というものだった。つまるところ日本選手権には、禁止カード制定は「間に合わなかった」のだ。

    そんなわけだから、多くのプレイヤーが予想したように、日本選手権の決勝戦は二つの《頭蓋骨絞め/Skullclamp》デッキで争われることになった。それは「親和(Affinity)」デッキをプレイする津村 健志(広島)と、「赤緑ゴブリン」の藤田 剛史(大阪)のマッチアップだった。「親和」デッキを相棒に直前最終予選から連勝街道をかけあがってきたシンデレラボーイが津村。対する藤田はプロツアー東京で「日本人初の決勝ラウンド進出」を果たしている伝説的なプレイヤーであり、はじめて大阪がホストすることになった日本選手権ということもあって、必勝を期したかった。

    ともあれ、決勝の試合も《頭蓋骨絞め/Skullclamp》合戦。緒戦でこの装備品を引き当てた津村が先勝し、藤田も二本目では先に《頭蓋骨絞め/Skullclamp》をプレイして、そのまま勝利を飾った。しかし、三本目を津村が痛恨のトリプルマリガンから落としてしまい、ゲームの流れは完全に藤田が掌握することになった。四本目には、なんとか《頭蓋骨絞め/Skullclamp》を先にプレイできた津村だったが、即座に藤田の《酸化/Oxidize》で対応されてしまい、《頭蓋骨絞め/Skullclamp》をあてにしての初手ワンランドキープが裏目となってしまう。津村にとってはさらに悪いことに、この状況から藤田に《頭蓋骨絞め/Skullclamp》をプレイされてしまうという苦しい展開。津村はそこから2枚目以降の土地をまったく引き当てられず、たった一枚の《大焼炉/Great Furnace》を藤田の《ヴィリジアンのシャーマン/Viridian Shaman》で破壊されてしまい、勝敗は決した。

    藤田 剛史はプロツアー・シーンでも注目を集めている大阪というコミュニティの現在を象徴する存在であり、この2004年だけでも、彼がデザインした二つのデッキがプロツアーの決勝戦へと勝ち上がっている。ある意味で、「満を持しての戴冠」という感もある日本選手権だった。

    2004年7月

    GPクアラルンプール優勝の森田 雅彦

    「銀メダル」と言う言葉から多くの日本のマジックプレイヤーが真っ先に連想するのは森田 雅彦(大阪)だろう。それもそのはず、森田は今年の3月に グランプリ・仙台 でも準優勝を飾っており、通算5つ目のグランプリ銀メダル獲得という具合なのだった。そして、そんな「シルバーメダル・コレクター」森田がこの7月末に大きな大きなチャンスを掴み取った。

    スタンダード・フォーマットで行われた グランプリ・クアラルンプール で森田は順当に決勝ラウンドに進出し、事実上の決勝戦ともいえた準決勝で師匠の藤田 剛史(大阪)とマッチアップされ、ここで日本王者がこの試合に投了してくれたのだ。藤田の思いを託された森田は発奮し、「いつも、なぜか勝てない」決勝戦でユン・カンチェンとの「親和(Affinity)」ミラーマッチに2勝1敗で勝利。とうとう念願の個人タイトルを手にしたのだった。

    この後、11月のグランプリ横浜でもベスト8にあっさりと入賞してしまうことになる森田は、なんと・・・グランプリで決勝ラウンドに勝ち上がること11回である。かくて、2004年に森田 雅彦は、日本が誇る「ミスター・グランプリ」という地位を確固たるものにした。

    2004年9月

    2004年度日本代表チーム

    昨年度の世界選手権ベルリン大会での 岡本 尋 に続き、岡本の愛弟子の一人でもある愛知の若虎、小倉 陵が見事に決勝ラウンドへと勝ち進んだ。無念にも小倉 陵は準決勝で下馬評を覆せず、このジュリエン・ヌイテン少年との試合に2勝3敗で敗退。それでも堂々のベスト4(最終順位は3位)入賞という最終結果となった。

    個人戦線で小倉が奮闘した傍ら、藤田 剛史(大阪)、津村 健志(広島)、中村 修平(大阪)による日本代表チームも過去最高となる3位入賞を果たした。ただ、「プレイ中の行動宣言」が不明瞭であったために、「重大な局面の行動が巻き戻るかどうか」の裁定をジャッジにゆだね、二度も(対ベルギー、ドイツ代表戦)悔しい思いをさせられてしまっていた。国際舞台でプレイするにあたっての「明確な意思表示の徹底」という課題も浮き彫りにされた世界選手権だった。皮肉にも、そのベルギーとドイツが日曜日の団体戦決勝を戦っている。

    2004年10月

    日本勢から3名が決勝に進出したPTコロンバス

    日本をテーマとしたエキスパンションである神河物語の加わった新しいエクステンデッドで、プロツアー・コロンバス が開催された。そして、なんと3名もの日本人が日曜日へ勝ち進むことになったのだった。広島の大礒 正嗣(《精神の願望/Mind's Desire》)はなんとエクステンデッド・プロツアー2大会連続、通算4度目のプロツアー・サンデー。東京の有田 隆一(無限ライフ)もプロツアー・シアトルでチームS.A.I.としてのベスト4入賞に続く二回目の日曜日進出だ。ちなみに、今でこそ東京勢として関東一円のトーナメントで活躍する有田だが、彼もマジックプレイヤーとしてのルーツを辿ると、大阪の聖地Adeptに帰り着くことになるプレイヤーである。そして、決勝ラウンドでの主役となったのが最後の一人、大阪の中村 修平(レッドデックウィンズ)だった。

    有田と大礒が準々決勝で敗退してしまっている中で、中村は藤田 剛史(大阪)のデザインした赤単色で健闘。準々決勝でアメリカのゲイディエル・シュライファーの「リアニメイター」を粉砕。サイドボードの《罠の橋/Ensnaring Bridge》の活躍が大きかった。そして、下馬評では不利と言われていた準決勝のイングランド勢、ニコラス・ウェスト戦(《等時の王笏/Isochron Scepter》コントロール)も、鮮やかな三連勝を飾るという活躍ぶりだった。

    実は、中村もウエストも初のプロツアー・サンデーだったのだが、中村のサイドカードである《血の誓い/Blood Oath》のテキストを「手札のインスタント呪文の枚数に応じたダメージを受けるもの」と勘違いしたウエストが、呪文の解決前に勝手に手札を公開してしまうという失態を演じてしまっている。そう、コントロールデッキの使い手にもっとも重要な「平静さ」をウエストが失ってしまったのも大きかった準決勝であったのだ。対して、中村は日曜日を通じて冷静なプレイングを一貫して見せた。

    そんな、ベスト8初登場らしからぬ堂々たるたたずまいゆえに「黒田に続いてしまうのか?」という期待感が支配する中、決勝で中村 修平はサルサ・ダンスのコーチをしているというフランス人、ピエル・カナリの「親和(Affinity)」デッキと対峙した。これは《霊気の薬瓶/AEther Vial》から《翻弄する魔道士/Meddling Mage》をプレイするというトリックを搭載した部分を除けば、ほとんどがスタンダードで猛威をふるう「いつもの親和」だった。ただ、中村にはメインボードの《略奪/Pillage》以外、アーティファクトに対処することができなかったため、その爆発力の前になすすべがない。咽喉から手が出るほどにほしかった《荒残/Rack and Ruin》や《溶融/Meltdown》もサイドボードになく、中村は決勝戦を三連敗で落としてしまっての準優勝となった。

    それでも、アムステルダムでの藤田 修(準優勝)、神戸の黒田 正城(優勝)に続いての中村 修平の準優勝。大阪勢がこの1年だけで3回目のプロツアー決勝戦を戦ったわけだった。まさに、2004年という年は個人戦における大阪勢の躍進が大きな大きなトピックとなった。

    2004年11月

    アジア初のレベル4ジャッジ、菅谷 晶雄

    この記事の最後を飾るのは、もちろん「彼」のトピックだ。やはり柴田 宗男氏の教え子の一人、このグランプリ大阪2005でもヘッドジャッジを務める菅谷 晶雄氏のことでである。すでに本家DCIのポリシー諮問委員としても活躍していた彼は、グランプリ横浜の最中にDCI公認のレベル4ジャッジとなっていたことを明らかにした。もちろん、日本はおろかアジア全体で第一号だ。つまり、とうとう日本のコミュニティの「裏方組」のトップにも大阪の人材が選ばれたことになったわけだった。

    亡き柴田 宗男氏は起業家であり、マジックプレイヤーであり、日本のトーナメント・マジック初期における貴重なレベル2ジャッジであり、私財を投じてマジックをプレイする場所を提供してくださった人物だった。「業師」中村 聡の弔意の言葉を借りるなら「大人としてマジック界の未来を真剣に考えている方」だった。この記事で紹介させていただいた誰もが、柴田夫妻が経営した「マジック荘」Adeptで育てられた人材で、まさに氏によって蒔かれた種が実りのときを迎えた年が2004年という一年だったのではないだろうか、と私は感じている。

    柴田氏の御逝去から2年余り。あらためて心よりのご冥福をお祈りいたします。


     
  • Saturday, Jan. 8 : 12:57 pm - マジック・アーティスト:Nottsuo
    by Keita Mori
  • 急病に倒れたDave Dorman氏にかわって、急遽このイベントへと駆けつけてくださった日本人アーティストがNottsuo(ノッツォ)氏だ。彼のプロフィールや作品などは こちらのWebsiteで参照することができるわけだが、氏はマジック・ザ・ギャザリングをはじめ、多数のカードゲームのアートワークを手がけている職人だ。

    Great Artwork of Nottsuo

    Nottsuo氏がマジックのイラストの世界でデビューを遂げたのはダークスティールからで、《ダークスティールの粗暴者像/Darksteel Brute》、《双子エンジン/Gemini Engine》、《針金バエの巣/Wirefly Hive》という三枚が処女作と言うことになる。氏はマジックに作品を提供する前からタカラ社のデュエル・マスターズのカードアートを手がけており、ご存知のとおり、そのデュエル・マスターズを開発しているのがマジックでおなじみのウィザーズ・オヴ・ザ・コースト社というわけだ。

    ちなみに、サインをもとめにくるファンの多くは、多くの構築フォーマットで猛威をふるう「親和(Affinity)」デッキの対策で重宝する《秘宝の障壁/Relic Barrier》や、神河五龍のうちの一つである《降る星、流星/Ryusei, the Falling Star》あたりを持参してくるようだ。Nottuso氏は日曜日にもサイン会を行うため、大阪近郊のファンは是非とも会場に足を運んでみてはいかがだろうか。


     
  • Saturday, Jan. 8 : 2:28 pm - Behind the Scenes
    by Keita Mori
  • 2005年のマジックが開幕した。つまり、公式代理店がホビージャパン社からタカラ社に切り替わって最初に開催されるイベントとして、グランプリ大阪が開幕したということだ。おそらく、多くのマジックファンが固唾をのんでこのイベントが成功するかどうかを見守っていることだろう。せっかくBlog記事という体裁でイベントの風景を皆さんにお伝えすることの出来る機会をいただいているのだから、少しデリケートな話題にも触れておくことにしようと思う。代理店が変わって、はたしてイベントの運営はどうなるのか。

    現在のところ、グランプリ大阪は3ラウンド目を迎え、不戦勝を持った選手たちも戦いの場へとやってきたところである。参加者総数は160チーム、480名という大盛況。サイドイベントのテーブルの工面に担当者が苦労するくらいの大入りだ。そんな今回のグランプリを運営しているヘッドジャッジは、ご当地大阪のレベル4ジャッジである菅谷 晶雄氏。スコアキーパーを名古屋の金澤 遊氏が務め、サイドイベントを取り仕切るのが京都の宮本 聡志氏だ。そこに、いつもグランプリで活躍してくれている有志のジャッジ各位がフロアで活躍し、ウィザーズ社の日本組織化プレイ部マネージャーを任されているロン・フォスター氏が後ろに控えている、という布陣だ。イベント進行上の問題は今のところ出ておらず、新代理店のタカラからは数多くのスタッフが来場しており、イベントの視察とノウハウの吸収に励んでいるという具合だ。ちなみに、ホビージャパン社からは雑誌取材班が2人と、ジャッジが1人派遣されている。

    タカラのカード事業部でマジックを担当する鮫島氏にお話をうかがったところ、以下のようなコメントをいただけた。

    「今は現在の運営ノウハウの吸収にスタッフ総出で必死にあたっています。大きな変化を迎えてユーザーの皆さんに不安な思いをさせてしまっているかもしれませんが、そう遠くないうちに、今まで以上の水準のサービスをご提供できるようになることを目標に努力しています。『タカラになってよかった』と思っていただけるようにですね」

    これは個人的な感想なのだが、プロツアーで決勝日に勝ちあがれることも「当たり前」になってしまうくらいにプレイヤーの競技レベルが向上したように、頻繁に開催されるプレミアイベントを切り盛りしているジャッジングスタッフのノウハウ蓄積も相当なものとなっているようだ。そして、代理店の変更という大きな節目を迎えただけに、そういった経験を積んだ市井のジャッジ各位が奮起して、「少なくともこのイベントに参加してくれているユーザー各位に不安な思いはさせない」という気概を見せてくれているのではないだろうか。


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